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多福寺(たふくじ)   高岡義民の碑(多福寺境内)
 
多福寺(たふくじ)
 真言宗醍醐派、本尊は三尊弥如来
 大同年間(800年代)に弘法大師がこの地に来て創建、道場とした。寛元(1243〜46)の頃、紀州高野山より高僧がこの寺に配居されている。
 慶長7年(1692)炎上し、伝記・寺宝などが焼失し詳細不明となるが、その後再建される。現在の建物は(本堂、昭和33年(1958)再建・大師堂兼護摩堂)昭和53年(1978)再建・六地蔵堂は昭和60年(1985)に建てられた。
 この他に鎮守稲荷社・秋葉大権現社・鐘楼堂・山門・義民碑・弁慶の硯石・弘法大師開基記念碑・ぼけ封じ観音等があった。
 以前、多福寺にあった梵鐘は平安時代(800)の頃のもので、昭和29年に国宝になり現在は福岡市西光寺にある。
高岡義民の碑(多福寺境内)
 多福寺の山門に入ると左手にあり、大正14年(1925)に世話人田村丑之助を中心に顕彰碑として建てられる。
 重税の上に凶作で苦しんだ農民が、井手植えの稲作と畦豆に対する貢租税の減免と廃止を求めての一揆である。文化13年(1816)の正月のある日多福寺の暮れの鐘を合図に近隣の村々の農民を誘い浜山に集合し強訴することとした。しかし、事前にわかり、首謀者として捕らえられた。首謀者としての証拠は不明であったが、当時の決まりによって処刑された。
 
 
烏森神社跡(からすもりじんじゃ) 高岡八幡宮跡(たかおかはちまんぐう)
 
烏森神社跡(からすもりじんじゃ)
 祀られた年代不明。古老の話によると、神代よりの神社で、村の元の氏神であったという。 
 この神は大国主命の国譲りの時、使者になったり韓国への水先案内をつとめたという説もあると伝えられている。
高岡八幡宮跡(たかおかはちまんぐう)
 延長元年(923)石清水の分霊として高岡村が歓請した氏神である。武将の崇敬が篤く寄進も多かったと言う。松江藩時代から4石4斗(約800リットル)の知行(社領)を受けていたといわれる。大正4年川跡神社に合祀される。